老後資金のために始めたこと
自分の老後について考えるようになってから資産運用にも興味を持った。「老後2,000万円」と言われた時分、今のままでは絶対に無理案件だったからである。転職が選択肢にないなか、現在の収入で貯蓄を目標額に近づけるためにはどうしたらよいか。考えた結果、貯蓄にまわしていたお金の一部を運用にまわすことにしたのだ。
といっても投資の知識はゼロだし余裕資金があるわけでもない。初めから株式投資はハードルが高すぎる。そこで始めたのが、ポイントでの積み立て投資信託だった。実質ゼロ円・ほぼ他人まかせ。それが私の資産運用デビューである。2020年3月、41歳のときだ。
あれから3年たって、2023年2月、44歳現在。今は毎月1,000ポイントの積み立て投信を継続しているのと、株をいくつか所有している。資金は少しずつ増やしてきた。結果、同じ金額を銀行に預けるよりは遙かに良い成果を得ている。が、本当のところ、今の自分のやり方が正解なのかどうかさっぱりわからない。
唯一言えることは、訳がわからなくなって全財産を失うことだけは避けよう、ということ。始めた当初は、ネット上でお金だけ動く状況があまりにもゲーム感覚だったし、3年たった今もその辺りがフワフワとしている。常に自分の状況を俯瞰できるようにありたいと思う。言うのは簡単だ。そうできるよう、記録としてここに書き留めていこうと思う。
病気に保険はきいても病気予防に保険はきかない
先日、3か月に一度の歯医者へ行った。検診&クリーニング目的だ。そしてこれが、保険がきかないやつだ。なのでお会計が11160円。いちまんいっせんひゃくろくじゅうえん。オゥ。
毎回その料金を承知で行っているのだが、毎回高いなと思う。でも、保険内の歯科健診だとどうしても物足りないので、やっぱり次も行くのだ。
病気になると治療するのにお金がかかる。でも、ならないよう検診行ったりケアしたりするのもまたお金がかかる。生きるのってお金がかかるのだなとしみじみ思う。どこまでどれくらい使うのかが考えものなのだ。
本格的に自分の健康が気になりだしてからは、「予防」にけっこうなお金を使うようになった。今回の歯医者もそうだが、こちらも数か月に一度のペースで通っているカイロプラクティック。やはりけっこうなお値段だ。そうしてこれらは、行かなかった場合に自分がどれだけ不健康になったかは永遠にわからないのだ。その、結果がわからないものに対して、決して安くない金額を払っている。もはや精神安定料なのでは?とも思う。
病気だったら治療してここまで治ったよ、という結果があるのでわかりやすい。最近では、どこまで治療するかどこまでお金を出すかも患者の意思が尊重されるようになってきている。
だったら、結果がよくわからない予防に対してお金を使うよりその分貯めて、健康保険も抜けて(払わないで)その分貯金して、病気になったときに使えばいいのでは?とすら思ってしまう。
けれども。
病気になって失う元の体や、治療に費やした時間は戻らない。それこそ、いくらお金を使っても手に入れることはできないものだ。それならやはり、予防の方に金をかけてもいいのでは?と自分に言い聞かせている。
来月末は、2年に1度の胃カメラ検診だ。
大人の学びを続けるには
「生きがい」と呼べるような何かを見つけるために、興味の有無にかかわらず何でもやってみようときめた今年。
早速、年明けに始めて、早速、ひと月で終わったものがある。「漢方」の勉強だ。
実は漢方は以前より興味があった。持病のことでいろいろと調べるたびに漢方薬の名前が出てきたからだ。「六君子湯」という。対処療法とは違う東洋医学の考え方に触れ、これは、と思うようになった。漢方を学ぶことは病気にならないカラダ作りに繋がるかもしれない。それこそ、老いていくこの先の生きがいとなるような学びになるのではないか。やめてしまった韓国語よりもずっと‥。
だから、2023年のマイテーマ「生きがいを見つける」を決めたとき、漢方の勉強はすぐに思いついたことだった。
しかしそうは言っても医学の知識などまるでないド素人。まずはきっかけである。いきなりスクールや通信教育などとはハードルが高すぎるしお金もかかりすぎる。とりあえず自分で勉強できるテキストを探した。加えて、目先の目標がある方が頑張れるので、検定や資格などについても調べた。そして、薬膳・漢方検定合格という目標設定と、入門書的なテキストを購入。それが2022年末である。
ノートも準備し勉強を始めたのが、2023年1月4日。初日は15分ほどで、テキストを読み自分なりにまとめてネットで調べるなどした。
そうして続けること1週間。なんと、早くも飽きてしまったのである。
これには自分でも大変にショックを受けた。私は新しいことを学ぶことを大抵は面白がれる方だ。自分の知らない世界の扉を開けるのはとてもワクワクする。
だから、こんな筈はないと無理矢理にでも勉強を続けた。けれども、初日こそ感じていた興奮を取り戻すことはなく、面白みもほぼ見いだせず。結果、1ヶ月もせずにこの挑戦は終了してしまった。
そう簡単に生きがいなんて見つけられない。それはそうだ。趣味がないとぼやく人も多いなか、人生を捧げられるような物事に易々と出会えるわけはない。それに出会うために「とりあえず始める」が今年のテーマなのだから。
次、行こうと思う。
けれども一方で、私は一つ、自分に関する知識を今回の失敗を通して得た。
続かなかった原因。1つではないだろうけれど、アウトプットする場がなかったのが一番の要因なのではないかと思う。
語学の勉強では、学習初期段階でも自分で文章を作り、話すというアウトプットができた。アイドルにはまっていたときは、ライブに行って推しを浴びるという能動的行為があった。今のオタ活は、そもそも創作活動がメインである。仕事でも、実践は大前提だ。
新しい知識は、得るだけでなくそれを何かの形で外に出さないと、しかも早い段階でないと、私の場合は習得へとは続かないのだろう。
漢方の勉強も、食生活や物事の捉え方等々、その知識を還元できるところは多々あった筈だ。というか、そのために勉強を始めたのだ。しかしながら今回は、その方法・発想にたどり着く前に心が折れてしまった。
次は、アウトプットを意識した学びを心がけようと思う。
鬼滅の刃を見てきた
「鬼滅の刃」の映画を見てきた。
映画決定からずっと見たくて楽しみにしていて、公開後ツイッターで流れてくる感想も見て、もう行きたくて行きたくて、この日を生きる糧に過ごしてきたのです、ここ数か月。
遊郭編10話は全編にわたってテレビ初見時から映画クオリティーだと思ったから、見るならiMAX(地元にはない)で見たかった。入場者特典の限定「上弦集結本」も絶対手に入れたかったので、公開後あまり間を置かないで行きたかった。加えて、心置きなく映画に没頭するには、混んでるであろう土日は避けたかった。
というわけで、平日の午前中、有給休暇とってわざわざ電車に乗って遠出してまで見てきたのです。
仕事=生きがいだった頃の私の辞書には「有給休暇」なんて言葉はなかった。けど今は違う。趣味充実に生きる今の私の辞書には「休日出勤」なんて言葉はない。きっとどちらも間違ってはいない。
ちょっと話がそれたけど、映画の感想は一言で表すなら「上弦がかっこよすぎた」です。
宇随さんと妓夫太郎の最後の戦闘シーンはやっぱりすごい迫力で、特に妓夫太郎がテレビで見るより何倍もカッコよかった。宇随さんが復活したことで本気になったときの声のトーンがそれまでのちょいユルなトーンと違って渋くて、鬼気迫る迫力がまた良い。
次、童磨。陸だったときの登場シーンからもう不気味綺麗だし、上弦会議のおちゃらけ具合も教祖に戻るときもまさにサイコパスだし。気付かないうちに心を持っていかれる感。声優に詳しくない私でも知っている、宮野さんの最高演技よ。
そして猗窩座。何といっても猗窩座。無限城に呼ばれて上弦ズといざこざして退場するまでずーーーーっとスン顔かっこよ。体が良い・顔が良い・声が良い。この猗窩座を四方八方から大迫力で見る贅沢よ。
その無限城シーンも、大画面で見られたからこそのスケール感ハンパなかった。空間の広がり・奥行・スピード、そして世界観。本当にアトラクションに乗ってるみたいな浮遊感さえ感じて、あれこそまさにiMAXで見るべき価値あるものだった。
というか、あれで見てしまうと、後日テレビ放送開始後に小さな画面で見たときのしょんぼり感がハンパない気がして怖い。
そう。そうなのだ。
戦闘シーンと鬼の出る無限城シーン以外は、私的にはiMAXどころかテレビ画面でも十分な感じだったのだ、正直。高い交通費と割高映画料金を払ってまで見るべきだったか否かは正直、判断が難しい。ぐぬぬ‥。
でも、「有休とって都内まで足を運んで映画を見た」という行為自体がストレス解消になるわけでもあり、そこも含めてやっぱり行って良かったと思う。エンタメは最高だ。
無事に手に入れた上弦集結本。よき。
逆流性食道炎のその後と心身の変化
正月明けから続いていた逆流性食道炎の症状が、ようやく落ち着いてきた。焼け石をじゅうじゅう押しつけられているような酷い胸焼けに耐えかねて、家中にある胃薬を飲みまくり、それでも良くならなくて、かかりつけ医を受診。新しい薬を出されて飲み始めたのが1月中旬。それでもすっきりせず悶々としていたのだけれど、2月に入りやっと症状がやわらいできている。控えていた甘い物も食べられるようになった。今は、「ネキシウム」という1日1回のちっちゃなカプセルと、食前に飲む例の緑の液体「アルロイドG」が私のお薬だ。
この病気が酷くなるたびに医者から聞かれることがある。「何かストレスあった?」である。毎回聞かれるので、ストレスはこの病気の要因の1つなのだろう。けれども、自分が感じているストレスの波と病気の増悪には、自分では相関性をあまり見いだせていない。なんなら、症状がよくなってきたここ数日で、ここ10年来もっともキツいストレス案件が勃発しているぐらいだ。けれど、薬のおかげか胸焼けはわずかでおさまっている。
人が感じるストレスは人それぞれ違う。そのストレスがどう体に表れるかももちろん違うだろう。そして私の場合はどうやら胃腸に現れるらしい。わかっているならそれが出ないようコントロールしたいけれど、相関性が掴めないのでどうにもできない。加えて本当のところ自分がどれくらいストレスを感じているのかも怪しくなってきた。現在、あまり悩みは無いほうだと思っているけれど果たしてそうなのか。
もう、自分の体や心のことがわからないことばかりになってきている。年をとればとるほど、である。
この先、さらに体は、経年変化という名の不具合を生じさせていくのだろう。心はどうか? 考え込むことが多くなればなるほど、しかりだろう。
今はまだ、その変化に対しては恐怖心の方が上回っている。うまく対処できるようにといろいろ試してみたくなる。
穏やかに受け入れられる境地には、なかなかなれないものだ。
消せない物欲
前回、アイドルグッズの一部をメルカリチャレンジした。すぐに売れたもの、値下げして売れたものなど、値段や期間に差はあったが、大方が無事に旅立っていった。これはかなり気分がよかった。捨てずに済んだ、という満足感が大きいのだろう。
また、一度始めてしまうと止まらなくなるもので、あれ以来、次々とグッズたちをメルカリチャレンジさせている。結果は9割、新たな持ち主を得ている。上々だ。
では、さぞかし断捨離が進んだことだろうと思う。だったのだが、その空いたスペースを新しいグッズ達が占めだしている。言い訳にならない言い訳だが、推しがジャンルごと変わったのだ。まったく言い訳になっていない。
結果、「推せなくなったから捨てることができた」のであって、「モノへの執着心を捨てることができた」、つまり断捨離ができたわけではなかった。それから、推しパワーによる物欲を抑えることは難しい、ということもわかった。当然、目的はちっとも達成されていない。
けれども終活のためにも断捨離を諦めるわけにはいかない。なので、処分する対象を変えようと思っている。まずは、今シーズン一度も袖を通していない服と、ずっと使っていない文具類か。
服に関しては、購入欲がほぼほぼ無くなってきているのだが捨てられないクセがあるし、文具は好きなのでちょこちょこ買ってはしまい込むクセがある。このあたりを、推しグッズの代わりに整理したいと思う。
かれこれ10年以上推していた韓国アイドルに取って代わってグッズ棚を埋めた、アニメ「鬼滅の刃」グッズ。
今週末、映画に行くので新たにグッズを買わないよう、財布のひもをしっかり締めて出かけたい。