アラフィフ女子の終活ブログ

40代後半独身女子の、終活という名の日々の記録

私の推し株① 千趣会

ネットショッピングが好きだ。食べ物、衣服、コスメ、家具、文房具、アニメグッズなどなど、ありとあらゆるモノをネットで買っている。目的があって探して買う場合もあれば、なんとなく目について衝動的に買うモノもある。とにかく、日用生鮮品と100均以外のものはほとんど全てをネットショップで買っている状態だ。そんな私のネット生活でお世話になっている会社の1つが千趣会である。

初心者が株を選ぶ際の基準の1つに「身近な会社である」ということをよく聞く。自分が普段使っているモノや利用しているサービスなどと関連した企業であれば、初心者でもいろいろとイメージしやすいということだ。

千趣会はその点が最初の選択理由であった。けれど、推す理由はまた違うところにある。

<私が千趣会を推す理由>
・商品のラインナップが自分の趣向と合っている
株主優待の内容

まずは商品。千趣会がネットショップで扱っている商品ジャンルは、洋服や食品、家具、文房具など幅広いが、そのテイストが私の趣向ととてもよく合うということ。買う予定がなかったものまでつい買ってしまうことも多い。そして、そんな私に嬉しい株主優待。年2回、お買い物券1,000円分が貰えるのだ。

推しに今後期待することは、商品クオリティーの継続とサステナブルな企業であること。その辺りがさらに好きっ!となったら、もっと貢ぐ=持ち株を増やすかもしれないし、逆に、そこが自分の推す方向と違ってきたらファン卒=売却するだろう。

 

この冬に出会って手放せなくなった、コットン混タイツ↓

www.bellemaison.jp

 

ちなみに2023年4月9日時点の含み益は、1,300円。これまでに推しからいただいたものは、お買い物券3,500円+配当319円である。

万歩の道も一歩から

歩数計を買って2ヶ月近くたった。結果はどうか。日々、体力の無さを実感している。なんなら、このところの気温気圧の変化ですこぶる体調を崩しているぐらいだ。歩数計をつけ、歩くことを意識したからといって、すぐに健康を手に入れられるわけではないのだ。当然だけど。

最近の歩数をまとめてみた。

15,758、9,421、7,959、5,333、7,957、6,453、7,488、7,677、7,011、7,537、7,770、7,473、8,684、7,725、4,518、5,215、9,675、8,093、10,040、4,929、2,013

平日は大体7,000台。休みの日は5,000を下回る。万を超えた日はいつもとは違う体力仕事をした日だ。

歩数計をつけ、体力増強の実感はまるでないけれど、意識しないとどれほど歩かないのかはかなり実感している。
そして実を言うと、体力的に目に見えた成果がないので心が折れそうにもなっている。

それでも続いているのは、とりあえず歩数計をつけて階段を利用するという事の単純さと、数字マジック。やはり、たくさん歩いたという数字を目にするのは多少なりとも気分が良いのである。

漫然と続けて心が折れる前に、次の目標を立てようと思う。というか、当初立てた「息切れせずに階段を上りきる」という目標が思いのほかハードで、いつまでたってもゼイゼイしているので目先を変えることにする。「万歩」である。

その名が示す忘れてはいけない大目標まずは平日。今のところ、日1、2回エレベーターに乗って7,000歩以上歩けているので、ここを万歩にしたい。かといって作戦はまだないのだが。世間が“新生活”となる4月。私も万歩デビューを飾れればよいなと思っている。

 

 

 

私が同人活動をする理由

昔から憧れていた職業に小説家がある。小さい頃から本の世界が大好きで、その世界に24時間365日居続けるにはどうしたらよいか考えた結果、作る側に行けばいいと思ったからだ。その夢が高じて、今は、趣味で2次創作の小説を書いている。

先日、その自分の作品をweb上で公開するイベントに参加した。同じジャンルの2次創作をしている作家達があつまって、それぞれ自分の作品を公開し、同士の人たちに見てもらうというweb上のイベントである。

これがとても楽しい。漫画やイラスト、小説など、いろんな方のいろんな作品を堪能できてまさにワンダーランド。そして、自分の作品も展示した場合、それにコメントをもらえるかもしれないという“夢”がついてくる。

そもそも趣味の創作活動というのは、自分がその世界に没頭したいからやるのであって他人サマから評価をもらうためにやっているのではない。しかし長らく創作活動をしていると、誰かに見てもらいたいという欲が出てくる。私の場合、それは、この楽しい世界をその誰かと共有してもっと楽しくなりたい! という欲だ。だから「面白かったです!」「良かったです!」という感想をもらえると、その人の感情も相乗効果となり楽しさ倍増になるのだ。(あくまでも私の場合)。そんな“夢”がイベント参加にはついてくるのである。

しかし、逆もある。誰からも反応がもらえなかったときだ。これは“悪夢”である。作家としてイベントに出ること自体、誰かに見てもらうことが目的だ。反応がゼロということは誰にも見てもらえなかった可能性があるわけで、これは非常に辛い。筆を折るか引きこもるかの事態である。だからイベントに出るのはものすごく勇気がいる。

けれど、そんな心理的リスクを負ってでもやはりイベントには出たい。コメントをもらえたときの嬉しさと、その先にあるワクワク感はプライスレスだからだ。他人からの前向きな評価は気分を上げ、創作意欲がかきたてられ、結果として自分のなかの楽しい世界がもっともっと広がっていく。

先日参加したイベントでも、大変ありがたいことに感想を書いてくれた方がいた。とても嬉しかった。
生きがいと言うには大げさなのかもしれない。けれども、仕事での昇格や昇給で得る感情とは全く違う喜びが、ここには確かにあるのだ。

 

株で推し活する

私が株売買を始めたときは、コロナの自粛生活で行き場をなくしたお金たちが、同じくコロナで下がりに下がった株式市場に流入し始めた頃だ。そのせいで一転、株価は上がっていった。素人だった私でも利益が出せたほどだ。
けれど、そう旨い話が長く続くわけはなく、持ち株が含み損だらけになった。売るに売れなくなり、新しい銘柄を買うこともできなかった。(株売買を始めるときに「使うお金はこれだけ」という自分ルールを作っていたので、持ち株を売って現金化しなければ新しい株が買えなかった)そのお陰で大きな損失を作ることはなかったが、2年近くもほったらかし。最近、いい加減に整理しなければと思っていた。


そんなとき、この記事を読んだ。そして、また新たな気持ちで株を始めようと思った。

www.schroders.com

推せる企業の株を買ってその企業に頑張ってもらう。売買と言うよりは投資。株とは本来、こちらの意味合いのものなのだろう。

 

そしてそれは、今までの推し活にとてもよく似ている。

企業理念や事業内容など、推せる!と思ったら、その会社の株を買うつまり資金提供して、応援する。なんか違う・・・と思ったら、株売却つまり資金回収して応援も終了。

それってつまり、

ビジュアルやステージなど、推せる!と思ったら、そのアイドルのグッズ購入やライブ参戦などして、応援する。なんか冷めた…と思ったら、ファン卒業してグッズも処分。

同じ・・・

違うところは推しからの見返りだろうか。

株の場合、見返りは配当や優待といった現物だ。推し活は、ファンサやハピネス感といった概念である。しかし、双方、貰えないこともあるという点は同じだ。

目からウロコ。私は、資産運用という大前提の目的故に、株を「売買=利益を出す」という視点でしか考えられなくなっていたのだけれど、もっと広い心で付き合ってもいいのではないか。というか、本来はそういうものなのだろうと思った。

ということで、よくわからず買っていたよくわからない会社の株を売った。前述のとおり、損をした。でもそれはもうよし。そして、推せる株を買った。「推し株」である。多分、私にとっての推し株なので、詳しい人や専門家から見たらなぜその株?と思うかもしれない。けれどこれは私の推し活だ。その会社の株を買った理由が、つまり推す理由が私にはある。推しに頑張ってもらってでっかくなってもらいたいのだ。

今後、私の推し株についても、記録していこうと思う。

 

何者にもなれてない私がパワハラで訴えられた件

 今年に入って早々、人生初の経験をした。「パワハラで訴えられる」だ。字面だけでもかなりのインパクトだ。まさか自分がパワハラした方として訴えられるとはこれまで夢にも思っていなかった。

 

ざっくり経緯を説明。

昨年の9月から、私は新人2人の研修を受け持つことになった。Aさん(50代)&Bさん(30代)だ。2人とも同じように研修を行った結果、Bさんは1ヶ月もたたず独り立ちしたが、Aさんは3ヶ月たっても仕事を覚えられなかった。しかし、いつまでも面倒を見ているわけにもいかないので、年末年始の業務が一段落する2月からは、独りでやってもらうつもりでいた。その矢先、1月。「私を認めてもらえない。これはパワハラだ」と、Aさんが私を訴えた。訴えがあったので職場は対応した。双方および第三者から調査を行い、結果、パワハラはなかったと決定された。Aさんは予定通り2月に独り立ちしてもらい、私も通常業務に戻った。今現在は、表面上は何事もなかったかのように流れている。

・・・。

本当にびっくりした。寝耳に水。晴天の霹靂。唖然としたし何が何だかわからなかったし怖かった。なかなか仕事が独りで出来るようにならないAさんに対し、私なりに考え、接し、ときに方法を変え、環境を変えながら、そりゃもう必死に教えた。新人教育自体はこれまでも何度もやってきたから、その経験もフル活用した。それこそかなり手厚くフォローしてきたつもりだった。それが「仕事をまかせないパワハラ」と呼ばれてしまったのである。

驚いたのち、私はものすごく怒りを覚えた。これだけやってあげたのにパワハラ? できない自分を棚に上げて? 私に非がなかったと公式に認められたので余計にそう思った。許せないし二度と関わりたくない、貴方なんかにはもう何も教えない。

 

しかし数日後、冷静になったときふと思い直した。
「教えてあげた」「貴方なんか」。
私は完全にAさんを下に見ていた。彼女の能力がこれまでの新人さんに比べてかなり劣っていたことが、拍車をかけたのだろう。その気持ちが態度に少なからず出ていたことは容易に想像できる。時間がたてばたつほどに。

 

今回は、パワハラはなかったと認定されたから良かったものの一歩間違えば結果は違っていたかもしれない。本当に怖い話だ。そして何より、良かれと思ってやったことが自己満足でしかなかったということがショックだった。

若い頃、得意げに色々と教えてきて、挙げ句、勝手にキレ出した上司や先輩たちを思い出す。あのときは相手を訴えこそしなかったけれど、かなりゲンナリとしたものだ。まさに今、自分がそっち側になりそうな事態である。これも歳をとるということなのか。

ちなみにそのAさんだが、実は同じようなケースで数人と揉めた過去がある、曰く付きの人物であった。できればそういう人に今後はめぐり合わないことを願いたい。

 

最近の不安、ずっと感じている不安

生きがいを見つけたいのなら、仕事こそがそうあるべきだろう。

若い頃の私なら、そう思ったに違いない。1日の1/3以上、ややもすると半分以上の時間を仕事に費やしているのだ。それが生きがいであるべきだし、またそれを目指して然るべきだと。実際そう思っていたから、好きなことを仕事にしようと頑張ったし、そうじゃないときも目標のために頑張った。

けれど、頑張ることが体力的にキツくなる年齢になると絶対だったその考えが変わった。仕事は「生きがいという目標」から「収入を得るための手段」になり、手段として重視するは体力と時間の温存値になった。体力的に無理はないか、余暇は充分にあるか。働けなくなったときのことが頭をよぎったとき、仕事に対する価値観も変わった。

現在は、体力的にも時間的にも余裕のある仕事をしている。その分、給与や仕事のやり甲斐は減ったが、替わりに節約&趣味充実で満足度はそれなりにある。

しかし、どちらが幸せなのかと聞かれると正直判らない。がむしゃらに働いていた頃は、休む暇もなく人生に悩む余裕もなかった。余暇を手に入れた今は暇さえあれば悩んでいる。最近は特に、物価高や不穏な社会情勢などで将来への不安が募るばかりだ。そんなに悩むのならやはり、四の五の言わずひたすら働くべきなのかとも思う。

何者にもなれず、ただ悶々と歳だけをとっている。